60年以上前に「機器設計では寿命想定が肝要で、寿命が来て部品だけ動いても仕方がない」と講義で教わった。家電寿命も20年くらいはあったがいまは半減し、部品の修理より新型機種へ換える方針のようだ。我が家の冷蔵庫・洗濯機・掃除器も10年で買い換えたが、その間の追加新機能と高性能化に驚いている。でも自分の身体ではそうは行かない。

昨2016年11月1日に急遽入院し医師の「膵臓癌の末期で年齢を考え手術はしないし抗がん剤も使いません」との言に、自分でも不思議なほど冷静に「分かりました」と答えていた。2年前の誕生日頃以来「折角授かった身体だから長生きは望むが死は必然」と思っていたからだろう。(http://inoueyoshisuke.blog.so-net.ne.jp/2015-05-02)

先が長くないと思い、例年恒例の大学同級会と、それに合わせ東京で予定の高校クラス会(20人弱)、新日鐵後輩との会(十数人)への6日と7日の出席希望を強く医師に述べたら「東京で入院を一晩外泊にして、肝臓からの応急の管を替える手術は帰院後にする」と許可され家内同伴で上京し16日には無事退院できた。退院後は体力減退を感じたが家での日課を徐々に始め1週間ほどで体力はある程度戻った。そう分かると、念願はそれまで半年間準備してきた、翌2017年1月16日の鉄鋼協会での1時間半の講演会を無事済ますことだった。するとまた欲が出て、同月26日の八幡での職場関連と佐世保での旧制中学での会合にも出たくなり、医者の同意と緊急時紹介状持参でその双方と旧友の墓参りに小値賀島までも行けた。以降12月には君津製鐵所の会も出席し、正月を迎え念願の16日の講演会も何とか役は果たせた(もう一人の講演者はその朝急遽入院され亡くなられた由)。それ以降は、家での日課の繰り返しで85歳の誕生日も迎え、疲労感は感じるが家内に食事ほかの多大な負担を掛け申し訳なく感謝しながら何とか毎日が過ごせている。

その間の所感は私のブログと、とくにホメオスタシスの本文は(*)にあり、ここでは、その本文関連部分を要約すると、人の身体は全く巧妙に自主性のある部分からなり、私の場合は膵臓部分だけはその障害で食事のエネルギー化低下を来しているが、それ以外の部分例えば「懸垂3回」「平行棒的な胸筋10回」など、体重減のせいか楽にでき「歩行の筋肉」もまだ4000歩分は充分にある。これらは毎日少し実行すれば持続するが2日もしないと退化する。つまり、患部以外は正常で自分で病気だと思い込んでサボらない限りその機能が現状程度の維持は可能と自身で実験できた。
(*)詳細は http://inoueyoshisuke.blog.so-net.ne.jp/2017-03-20クリック【-59-】)

80歳で始めたヨガを自分なりにアレンジして朝晩20分ほど行うと血行が良くなり自己免疫性が向上する結果だろうが、ここまで進行しているのだから患部の完治は無理だろう。食事での摂取カロリーが減り、患部以外の他部分も自然に弱るかも知れないが、それまでは自然治癒力があるとして平静な毎日を過ごすつもりだ(病気は気の病として)。しかし毎月1回に痛み止めをもらいに行く担当の医師にはただ診るだけで治癒のしようもなく気持ちの上で負担だろうと申し訳なく思う。