友人から塩野七生著「ユリウス・カエサル ルビコン以前(上・中・下)」が送って来た。カエサル(英語読みシーザー)のことは多くの本で読んだがその圧巻は本人が書いた「ガリア戦記」だった。昔読んだので詳細は忘れたが、戦略や戦術の天才で橋や攻撃の櫓作りなど工兵・騎兵の使い方に驚いた記憶が残っている。私は本を読み始めると途中で止められなくなるので、今回も数日は躊躇したが、案の定3日間は通読以外に何もできなかった。

その読書感は、著者の広範囲な研究に基づく博識と歴史家としての優れた洞察力・記述力よるのだろうが、その幼年・青年期のことがわかり、さらに上記のカエサルへの印象に加え今回はとくに三つの点に興味を覚えた。

一つは当然の見解ながらカエサルは戦略・戦術家は言うに及ばず、魅力ある人物で信頼される偉大な指揮官であり、しかも遠いローマでの情報交換と適切なタイミングを逸さない政治家としても天才であったという点である。二つ目はそれから2000年は経ているのだが、いまも人間性そのものはその当時からあまり変わらず、その集合社会である当時の政治的な動きはいまでも通じそうなこと。そして三つ目は、人間が使える技術に関しては過去200年ほどの間に蒸気機関・電力・原子力などのエネルギー源とその使用が進歩し、それも私が経験したこの50年ほどの間に想像もつかないほど加速度的に進歩していることである。とくに情報処理や伝達に関してはこの20年ほど前にはパソコン・インターネットの出現などで想像以上に急速な変化を遂げていることだ。

つまり、それらの諸技術の急速・大幅な進展に比べ、私達の人間性やそれに基づく政治が、2000年前とあまり変わっていないことの印象に圧倒された。私のHPにも紹介しているが、1965年の米国のカルフォルニア大学バークレイ校で受けたExecutive Programや後ほど世界的に有名になる当時の最先端の行動科学をいまも通用する実例を挙げて論じた二人の若い学者によるMiddle Managementコースで採った講義録を読んでも、人間性と言う意味ではそのほとんどが、いまも、当時も、そして2000年前も、あまり変化なく通用するという事実をこの本で再認識したと言うことだ。

最近の北朝鮮の核開発や米国大統領の環境破壊への無関心などを思い起こすと、人間が使用できる技術は加速度的に進歩しているにも拘わらず、それを使う人間の本来の性質は何千年もの間ほとんど変わっていないことを改めて痛切に感じさせられた読書だった。