著作と論文、ブログの2017年以降、エッセイなどを纏めました

Executive Program の講義内容

  The Executive Education Program (第7回)に参加して

1 主催者

University of California, Berkeley, at the Graduate School of Business Administration.

2 場所

同上のBarrows Hallの8階にこのプログラムに使用することを主目的とした豪華なLipman’s Roomで行われた。

3 期間

スケジュール;昭和40年5月30日(日)~6月25日(金)の4週間、スケジュールは別紙資料1(省略)の通り(朝8:18~10:00、10:30~12:15、の二回の他 2:00~4:00又は4:00~6:00のどちらか一つが大抵行われた。同じホテルに生活したので夕食後の雑談など夜8:30位までは皆と共同の行動であった。)

4 同プログラムの特長

現在米国にExecutiveを対象とするEducation Programは、ハーバード大学その他でかなりの数が行われている由であるが、当プログラムが特長とするところは、他のものが社内の問題を主としているのに比し、時と共に変わりつつある社外の一般社会情勢について学びその社会の要求に如何に責任を取り、また社会をリードしていくかといったことについて今後自分で考えていく基礎を与えることに重点をおいていることにある。

5 講義出席者

別紙資料2(省略)の通り、相当重要な地位の人達で平均年令45才位の総勢30名であった。

6 講義の構成

資料3に示す通りの構成となっているが簡単にまとめると次の通りとなる。

(1)   The Corporation: - Fact or Fiction.

(a)   Societal Image:  - Businessとは? Business Manとは?そのEthicsは?

(b)   Legal Image :– (Anti–trust Lawを中心に)

(2)   The Economics of the Enterprise System.

(a)   Micro Economics.

(b)   Macro Economics.

(3)   The Social Aspects of the Enterprise System.

(a)   Wage Policy, Collective Bargaining.

(b)   Unemployment.

(c)    Population Problem.

(d)   American Racial Scene.

(4)   Political Aspects of the Enterprise System.

(a)   Domestic Politics and the Formulation of American Foreign Policy.

(b)   American Foreign Policy. 西欧、アジア、アフリカ、共産圏諸国

(5)   Seminars.

(a)   The Psychiatrist Look at Management.

(b)   Aspects of Life Process at Molecular Level.

(c)    Down Townの将来(ビジネスと生活)

(d)   人と宇宙

(e)    犯罪業とビジネスにおける犯罪

(f)     地震について

(6)   Special Programs.

(a)   カリフォルニア大学農業学部訪問、農業と機械化について

(b)   Industrial Relation.

(c)    Foreign Policy Problem.

(d)   Societal Image of the Corporation.

(e)    Segregation

(f)     Race, Property, and the Future of the Central City

(7)   Alumni-day Program

卒業式もかねて過去6回の受講者も招待してのパーティ、講演

7 講義の進め方

(1)    生活(食住)

前述の通り出席者全員が大学のすぐ近くのHotel Durant に宿泊するよう指定された。従ってweek end(ある者は帰宅、あるものはちょっとした旅行、あるものは滞在)を除いては共同生活をしたわけである。

朝7時頃から8時位までの間に全員がホテルで朝食をとり、8:15~10:00で第一時限が終わると30分のコーヒーブレークがあり、クラスルーム後方のソファの所で雑談をする。

第二時限は10:30~12:15で引き続き昼食、雑談で1時半頃自室に帰る。2時から講義があるときは、身体を洗ったりしてすぐ出かける。4時からの時は、ちょっとでも読書をして講義にでかけ、引き続き6時15分からホテルでカクテルパーティをしながら雑談、6時45分~8時30分位までディナー、8時半過ぎまで近所を散歩して9時前位に個室に帰り、それから下述の読書を始める。矢張り、全員寝るのは、ホテルなので上や隣の部屋から聞こえる音から察すると夜中の1時前後のようであった。

金曜の夕方からは宿題からも解放され、家に帰る人もいれば、三々五々サンフランシスコなどへ出かけ、土曜の明け方に帰ってくる人も多かった。私も一度つきあって行ったが海軍の将校倶楽部など、普通に旅行者が訪問できないようなところにも行け、他に一緒に行った人とも仲良くなれて楽しかった。とも角4週間、3食をともにし、話し合ったので、皆すっかり気が合って、別れるのが残念な思いがしたくらいであった。

(2)    Reading Assignment (翌日のための読書)

5月29日(土)にホテルの個室に入ってみてまず目に入ったのはミカン箱一杯の本(約50冊)であった。(その本の一覧表は別紙資料4で参照されたい。)その日から連日平均100頁くらいの読書が指定され、上述の通り、夜9時に個室に帰ると、必死に読まねば読み終えない。翌日の講義はそれにもとづいて約1時間20分講義があり、あとは討論であるので、読んでいかないと分かり難い英語が益々分かり難くなる。

時たま昼に授業がないときは、大分先の方の分まで読み溜めをしておかないと、1日200頁近くの日もあるので間に合わなくなる。そんなわけで早く本を読むことが重要なことの一つであった。

8 成績

このプログラムの成績というのは、およそ普通の学校のそれとは反対で、生徒の方が毎週末に講義についての評価を①すばらしい、②普通、③つまらない、という点で行い、講義の最終前日には講義別、教授別に同じく①、②、③、の評価をつけ、次回のための意見を求め、最終日にそれについての討論を行うということであった。受講生の方もこれくらい信頼されると懸命にならざるを得ないと思った。

その成績表に従うと、後述Prof. Cheitが最高であり、私自身も深い感銘を受けた。同教授も第一回(1958年)にはそれ程でもなく、年々Progressをして、第七回の今回は全員①をつけたということでその精進の程に皆惜しみなく拍手を送ったのは印象的であった。課目別としては、Economics(Samuelsonの教科書等), Societal Imageなど人気があった。通じて、アメリカのExecutiveは速読ができないと言われていることを実感した。

9 交友

プログラムのもう一つの利点は交友に好都合なスケジュールが組まれていることだ。 前述の通り、毎日三回の食事中とその前後に延べ時間にすると一日4時間近くもお互いに話し合う機会があり、各人の専門に関すること、一般的な話などを通じ、各人の人柄を見、何がこの人をこうさせたかということを推測できたのも楽しかった。また二回のweek endはサンフランシスコに、一回はヨセミテに、グループででかけ、一生でも続きそうな交友を得られたことは貴重なことであったと皆で語った程である。

10 所感

(1)   講義、交友から得られたものを簡略化すると”Progress” “Efficiency”の二語につきると思う。アメリカビジネスマンの心の中にあるものはこの二つに代表されるのではないかと思われた程である。それと、後述のように会社に対するLoyaltyの考えは新鮮で、それを学んべたことは大きい収穫だった。

 

11      講義概要―講義のノートから翻訳抜粋したもの-

(1)       Societal Image・・・Prof. Earl Cheitによる

【第1,2回 The Character of the executive】

5月30日、5月31日

テキスト The Character of the executive, by Perrin Stryker一冊を読んでおく事を要求され、それについての討論という形で進められた。

まず、このテキストを選んだ理由として、Cheit教授が7回にわたり説こうとするAmerican Business, Businessman Creedというものを、現在の時点で、改めて考えてみて、その疑問点を歴史的に考えて行く上で、好適の書と考えたからという。後述のように ProtestantismがBusinessmanの信条として最近まで扱われて来たが、Whyte の Organization Man という書物でそれが Social Ethic にとって変われるのではないかという点を強く押し出し、Organization の中に個人がとけ込んで行く必要性についての問題を提起した。

これに対し、 Whyte の友人であるStryker が、この The Character of the Executive の書物の中で、たとえ Big Business, Big Organization になっても、個人の特質というものが一番大切であると反論しているのである。

Stryker の論を要約すると次のようになる。

今日、大企業においては、申し分なく管理しうる能力(この中には他人を管理者に育て上げる能力も含む)の人を探し、また育てようと真剣な努力を払っているが、このことは人類にとって最近の科学技術を利用したすばらしい発展事実の全てと比較しても、それ以上に有益なことといえる。なぜならば executive の養成が真剣に実施される場合には、成熟した executive の要件を備えている人は、個人としても充分に成熟した要件をもっている人であるという事実を必然的に示す結果となるからである。

更に重要なことは executive として成熟することを推奨することにより、管理者層に属しているいないにかかわらず、各人に個人として成熟せしめる徳(何がそうさせるといったもの)をより明確に理解させるようになるということである。

この本で著者 Strykerは、この成熟過程で最も重要な問題は、“このような特質が他人にどのように認識され、また養成されて行くか”をみようとし、彼に従えば“成功している executive を表現するのに極めて一般的に用いられている基本的な特質についての認識さえ人によって意見が大きく異なっている”と述べ、更に“成功している executive に必要な要件というのは人間の行動に関してのほんのちょっとした差、およびその度合いを識別しうる能力を有することである”といっている。

この本は読者にこの能力を養成する手助けとする目的で物語風に書かれたものである。

第一章Talk of Executives では些細な個人差を見わける能力とは何か?(自分自身の差-、弱点、長所-を充分に知る、他の管理者と比較しどうして彼の方が自分より良いまたは悪い管理者であるかを正確に知る・・・ということで、自分がもっと多彩な奥行きのある人格となりうる。差を意識すればする程よくなる)。また著者が接することのできた、すぐれた executive とか manager という人達の行動を一語で表現しようとすれば“個人差を求め続ける”という言葉が一番近いように思われる。以下の章に管理の世界で最も重要と思われる、しかも昔から云い古されている人間の特質について人々がそれをどのように考えているかを示すことにより、その“差の意識”を説明している。

 

第2章以下に著者は、その特質として「Good judgment」「Cooperation」「Initiative-Ambition-Drive」「Decisiveness」「Emotional Stability」「Getting along with People」「Dependability and Conformity」「Fairness」「Leadership」「Loyalty, Dedication, and Integrity」とそれぞれ一章ずつを割いて説明している。

これらの話の中でこの著者がOrganization man 的な考え方に対し最も端的に反対しているのは最後の章 “Loyalty, Dedication, and Integrity”と私は考える。この章に対しては、反対意見も多いというが、そのエッセンス的な一節を次にかかげよう。

“私の意見では、管理者全ての問題の核心は、self-interestの問題にあると思う。管理者が、社内で成功するのも失敗するのも self-interestがどのような種類のものであるかによる。私のみるところ若いexecutiveになる可能性のあるものは、金とか権力とかいった個人的欲望から出発する。しかしある時点に至るとその興味の中心が彼自身のためのモノを欲しがることから、彼自身のPotential を発展させようという欲に変わるであろう。この二つともself-interestと呼ぶことができるが効果と目的においてそれは全く異なっている。この後者こそ大事なのだ・・・・!

また別の所では、会社に対するRoyalty(忠節)とは、会社に対しおそれ、愛されようとして全てを捧げつくすのではなく、ある時には会社を自分のdevelopment の vehicle として活用し、自分を成長させ、その自分を会社にささげることが大事であるとさえいっている。

続いてDevelopment, AchievingということについてのProf. Cheit の話があったが要約すると、「Achieving Society」という書物がある。その中にどうして世界歴史のなかである時期にある社会だけが繁栄し、そして次の時代にはまた別の社会が栄えるのだろうか?ということを調べている。資源があるからか、No、日本とブラジルを比較せよ。気候とか地形か、No、日本、ドイツとアルゼンチンをみよ。人口の問題か、No、日本、イタリー、ヨーロッパはインドより人口密度大。人種か 、No、ギリシャ、日本、Chinaをみよ。自分の思うところ人、動機、人間の価値の差が重要である。その社会全体が何か一つのことをしようと、結束したならばその社会はそのことをAchieveする」。

といったようなことであった。

 

【第3回(6月1日) THE SPIRIT OF CAPITALISM】・・・テキスト

Protestantism and Capitalism:Economicsの問題は1、何を2、どれくらい3、誰のために 作るかということに帰せられる。

この問題の解決として人類は①Tradition(原始の物々交換、中世の世襲職業など)②Authority ③Market System(歴史的には新しい)を持って来た。マーケットシステムの出現は中世と現代を画するものである。

中世と現代の相違の一観点としては“金”に対する考え方が変わったことといえる。では、何故“かね”に対する考え方が短期間に変わったか? Weber によればそれは Calvinism によるという。では Weber はどうしてこのように結論づけたか?中世以前は長い間“かねもうけ”は罪だ。と考えられていた。

ところが急にBenjamin Franklin によって、Time is money といわしめるように変わった。これは宗教改革によると考えられる。なぜならばLutherは人の救いは教会にあるのではなく人自身の中にあるといい、Calvin は人の救いは神からの召命観にあると説いた。そしてカトリックの厳重な規律から人を解き放ち、活動の場を与えた。特にPuritanは、勤勉と倹約の中に信仰を見出し、宗教的な意味合いが若干消えたかにみえる位である。Franklinは勤勉が人間の目的であるとさえ言っている。テキストの中のFullerton の論文はWeber論文を更に押し進めたものである。彼によると“時間”は神から与えられたものであり、それを浪費することは罪であるとし(Hard work)、また“貧乏がよいというのは病気である方よいというに等しい”(資本の蓄積)とBaxterが説いているこの思想、これが後のFranklinによるTime is moneyひいては、キャピタリズムへと移る前の考え方の正当づけを行っていると述べている。テキストの21頁からのTroeltischは更にその論を発展させている。それに対し、テキスト29頁からのSombartはWeberの説に批判的で、Calvinの説くところはCapitalistに反し、またカトリシズムもFranklinが云ったと同じことを既に説いていたのであるから、Capitalismの中にProtestantがいたことは認めてもWeberの云うように、それを結びつけるのは疑問であるという。65頁からのRobertsonの批判は最もその核心を衝くもので、① Weberの歴史についての認識が貧弱、② “Beruf”(召命)の意味についての誤解、③社会は循環的に変化するものであるということから反論している。

107頁からのFischoffの論文は賛否両論をまことに綺麗にバランスをとってまとめた論文である。

さて、プロテスタントのethicとは何であるか。(The Making of Economic Society, by Heilbronerの第3章を読むこと)一言にしていえば「個人の救いが勤勉、倹約、競争のための努力の中にあると信じること」といえる。ではProtestant ethicの残したものは何か?Protestant ethicは、現在もそして将来もCapitalismの中に巧みに織り込まれているといえる。それではそのProtestant ethicが今でもそのまま通用するか?WhyteのOrganization Manという書物の中で彼は「Protestant ethicがSocial ethicに変わりつつあるのではないか」ということを世に示そうとしている。これは後程の講義でくわしく触れる。

なおこの講義の最初にEconomicsの問題として①Tradition,②Authoritative,③Market systemのことを述べた。西欧諸国は①のTraditionの時代から2世紀もの長い間をかけて、Authoritativeなものは極力避けて、Market Mechanismによって経済の発展を成し遂げて来たが、第二次世界大戦以後は様相が一変して、Authoritativeの方がMarket Mechanismより優先するようになってきた。これは社会責任の名のもとに会社が国家の目的のために、その自由の一部をあきらめさせられたということである。これに対しソ連などは、その遅れを取りもどすためにもTraditionの後にAuthoritativeを用い、極めて短期間に人為的にMarketを作るべく努力して来たが最近に至ってEconomicsのefficiencyという意味から(demandとsupplyがバランスして来たことから)Market Mechanismというfreedomを与え始めている。即ち、

West:   Authority → Freedom

Soviet:  Authority ← Freedom

という形である。

このことに関し、ソ連の共産主義社会でも、モノが豊富になると人は他人とは異なるモノが欲しくなり国家の計画経済のみでは機能しなくなり市場原理が必要になるのは間違いない。一方アメリカでは市場経済のみでは行き過ぎが生じ国家による統制が強くならざるを得ない。もし宇宙人がいるとして、モスクワとニューヨークを20年後に訪ねたとすると彼は「モスクワではこの実体が共産主義の成果だといい、ニューヨークではこれこそが資本主義だとお互いに異なる主義を主張するが実体は同じではないか」というだろうとの同教授の示唆は印象的だった。

また、欧米の経済発展にProtestantismが大きく寄与したという点に関して、受講者より「このクラスに日本とフィリピンからの出席者がいる。プロテスタントではないがクリスチャンがフィリピンは多く、日本は極めて少ないと聞く。しかるにノンクリスチャンの日本の方が経済・社会的には発展しているし今後もそう思える。その点をどう理解するのか」という質問があった。同教授は「面白い問題提起なのでその二人から次回に意見を聞こう。」ということになった。この難問に今更資料で調べる余裕もなく、その晩の私は日本史を想起しながら同教授の論理に沿って懸命に考えた。

では次回はJohn D. Rockefellerをテーマとして論を進めたい。

 

【第4回(6月3日)CONCEPT OF THE CORPORATION】テキスト

John D. Rockefeller, by Earl Latham

前回の宿題に関し、私から「日本では300年続いた江戸時代の初めにキリスト教を禁止し鎖国したので、科学技術の面で西欧に後れをとったが、国内では参勤交代制度で通商や道路がかなり高度に発達していたこと、寺子屋があり識字率が世界でも高かったこと、二宮尊徳などの例をあげ”hard work”が推奨されていたこと、稲作と台風の例から協働作業が身についていたこと、茶道や剣道など“技”を磨くことを通し”人としての道”を究めようとしたこと」などを述べた。これらのことは多くの受講者にとっては初耳だったようで、かなりの興味を引き質問や議論を招いた。フィリピン政府高官からは「植民地となりキリスト教が布教された結果だし、まだ歴史的にその段階ではない」旨の発言がありこの議論は終わった。

ついで、前回にTradition、AuthorityおよびMarket system、それに何をどのように誰の為にということを学んだ。この好例はHeilkronerの本にある「マンハッタンに住んでいる人が自分の買いたいものがどうして望み通り得られるか」という話であろう。

またNBCの副社長になった人が山の奥で百姓をしている父へ「私もこれで副社長になり、年俸12万ドルを得ることになりました」。と報告した時、主に肉体的な労働で報酬を得ているその父が「ただ、しゃべって口を動かす以外には何も労働をない人に、よくそんな高給を払えるようになったものだ」といったという話も好例であろう。さて本日の話はRockefellerの歴史的な意味について考える。

アメリカの社会におけるビジネスの果たして来た役割についてはアメリカ人一般の認識が非常に乏しい。移住者は最初からビジネス的な態度で住みついたのであり、アメリカは当時の他の国と比べてビジネスマンが優遇され、尊敬されていた(バーナードショウの劇―題名聞き取れず―の中で、英国の貴族の若者が大学を終えた時に、その父親が息子を何にしようかと考えたとき、植民地もしくは国内の官吏にしようかとは迷うが、ビジネスマンにしようとは全く考えもしないのである。アメリカであれば、ハーバードを出た若者は、まずビジネスを考えるであろうに)。アメリカにおいては、独立戦争のときから官吏ではなくビジネスマンもしくはプロフェショナルな人が指導し、憲法も作ったのである。(独立戦争の原因について、米国の学校では自由のためと教えるが、外国では経済的な面について教えている。アメリカ人が考えている以上に事実はビジネスオリエンテッドであった。)1790年頃米国は繁栄の緒につき始めたのであるが、それから1960年の今日までの間に、米国はヨーロッパ諸国よりもはるかに大きく成長をしてきた。その理由は何であるか?

一言にしていえば、Capitalismが導入された時点で、欧州では既に権力、特権地位が固定しかけていたのに反し、米国では自由であった。そして、米国の植民それ自体がCapitalismの形で進められたことである。(1800年代で米国には300以上、英国では20以下、フランスでも20以下のCapitalismが存在していた。)どうして米国の植民が、そのような形で行われたか? 理由は①他国と比べて米国ではcorporationを結成する手続きが簡単であった。②米国には貴族も富裕層もいなかったので全員が働かざるを得なかった。③欧州においてはローマ時代からの道路があったが、米国では全ての道路を新設する必要があり、corporationを必要とした。 このようにしてcorporationの活動が活発となりstock exchangeも行われるようになって来た。

この講義の主題はビジネスに対する考え方が、いつどのように変わったか? アメリカは建国以前、①商業に関する関心と、②土地に関する関心の二つが存在し、その二つは異なったものではあったが、お互いに相容れるもので、従ってビジネスマンは、ある意味で、ロマンティックであり、成功の機会も多く、西欧からの自由独立にも貢献し、その相手と目された。しかし独立後は、段々とビジネスが自由に対する脅威となりかけてきた。そしてこの意味でRockefellerが重要な役割を果たすのである。

以下テキストについての説明(省略)

今日のアメリカ社会でビジネスマンは英雄でありうるか?軍人、科学者、弁護士などと比べてどうか?ビジネスマンの行為が英雄でありうるか?

 

【第5回(6月11日) MANEGERIALISM AND ITS CRITICS】

テキスト The Organization Man, by Whyte

前回からの続き―どうして同一の人間(Rockefeller, John D.)に対する評価が前述テキストにみられるようにある時期には極めて悪く、後になって好転したか?答えは、社会全体の考え方が変わったからである。その辺の事情はThe Age of Reform by Hofstadterによく記されている。The Age of Reformによれば、三つの異なった動きがその期間にあった。①は独立から1880年までのPopulous Movementであり、農民運動であったが寿命が短く、それに変わる目的として、Big Businessが現れ、アメリカでは初めて大企業に政治が対立した。独占禁止法の動きも始まった。 ②1902年~第二次世界大戦初期、大企業に反対してのProgressive Workが続く。そのリーダーは弁護士、牧師、などといった小都市の中流階級の人達であった。何故中流階級に導かれたか?

かつての大企業のexecutiveは死亡し、一種のstatus revolutionがおこったとみられる。1920年代には、”Business like”ということばがはやり、Businessは高い評価を受けていた。しかしこの運動も突然に全く消えうせてしまった。③New Deal:この動きもBusinessに対立する形で行われた。しかし、この時代に到ってBusinessは望ましいが、大きすぎると病気みたいなことになるという考え方に変わって来た。New Dealがフルに動き始めようとした時、第二次世界大戦が始まって、この動きも終わった。

1945年以降は、新しい動きが始まった。即ちBig Businessを政策と一致するように調整して行うとする多くの動きがとられ始めたのである。

 

このような時期、即ち1937~38年頃Organization Manの著者Whyteはエール大学を卒業し海軍へ入り、戦後Fortune誌へ入社した。当時は”Selling of Business”とも云われる時代で企業はFree enterpriseをsellし彼はそれをテーマに”Anybody listening”を著した。

第二次大戦後初めてBusinessがその外界の要望に応じるという状態となった。(New Deal以前にはBusinessは社会に付属するものとなった。)このような事態でのAmerican Business Creedとは何か。極めて難しい問題であるが、それを考えるに当たっての重要な二つの前提は

①     Market Mechanismが最も効率がよいこと。

②     経済工の自由と、政治工の自由は相方とも必要である。

ということである。Whyteは間接的にこの二番目にchallengeしようとしているのである。

第二次大戦後多くの書物が”American Business Creed”について出版されたが、その前提は前述の①Market Mechanismと②経済工の自由と政治工の自由は相互依存関係にあるということのようである。①はモーゼの十戒にも似て一種の規範であるが、②については確としていなく複雑な問題であり、Whyteはこの点をつくのである。Whyteは、CapitalismはProtestant ethicにもとづいていることを認め、そのProtestant ethicがSocial ethicに変わろうとしているのではないか、belongingnessということになりつつあるのではないかといろんな事象をそのような焦点に合わせて論じるのである。

 

【第6回 THE APOLOGETICS OF MANAGERIALIALISM】

テキスト THE BUSINESS ESTABLISHMENT by Prof. Cheit

前回の続き―国家と産業との利益は独立戦争までは一致していた。しかしそれは、以後異なるようになり、その結果生まれたことも、そのような結果をもたらしたとも云えるのが前回学んだRockefellerと云える。

Whyteは1946年に海軍を退役した後、Life Magazineに入った。The Organization Manの第9章はChristian ethicとSocial ethicを対照させようとした好例であり、幹部の教育に当たって、Vichy社は前者の立場で、競争相手は敵であり、hard work, thriftyなどのProtestant ethicをロマンティックに教えようとしたのに対し、GE社では(GE社の教育担当者は、Whyteの著述は大ゲサ過ぎると否定するが)競争の中から闘争は取り去られ、友好的なbelongingnessといった感じの教育である。これは昔からの議論を新しい形で述べている。第6章では、どうして現在では多くの人がlineの長になるよりもstaffになりたがるのであろうか?Protestant ethicの”do something”ということはどうなったのであろうか?第19章では個人の利益は、最早社会のそれと一致しなくなりつつあるのではないだろうか?

 

【第7回(6月24日) MANAGING ECONOMICS GROWTH】

テキスト The Business Establishment

The Achieving Societyという本については前に説明したが、結論はAchievementに対する必要があったから成果があったということである。さてWhyteがThe organization Manの中で云わんとしていることは、正しいだろうか?即ちProtestant ethicがSocial ethicに変わろうとしているのだろうか?このような問いに答える能力を養うためには、各自が①Whyteの論法に対する反対意見をまとめる。②Mr. J. D. RockefellerをProtestant ethicという点から解析し、それを誰か各自の好きな現代の指導者―例えば、ケネディ―と比較してみるとよい。

さて、この問いに対する講師の意見はWhyteの意見をある程度は認めても大勢においては否定的であるという。(Fortune誌のFeb ’61号(?) に”Can Protestantism still hold”と題して、米国中のビジネスマン、牧師・・・・・等、あらゆる階層の人について調べた結果からも影響は薄くなっているが、いまだ残っている。)

しかし本日の宿題であるテキストの第二章Wand著の”individualism and organization”に述べているように,”turning away from society”ということについて今日では、individualismという言葉の意味をturning from societyということではなくHow to participate in the societyという意味にとっている。(76頁)このことからいえばWhyteが述べていることが事実であるといえる。

ではWhyteの述べていることが正しいとしてみよう。即ちそのように変わりつつあるとしたところで、それが一体何であるというのか?どう変わろうとAchievingさえしていればいいではないか?では、どうしてbusiness achievementがなされるのだろうか?これに対してWhyteは「歴史的、文化的にみて、我々はbusiness achievementを基本的には、individualismを、その中心として達成してきている。この過程においては、個人と社会の間にconflictを生じる。個人の必要とするものと社会の必要とするものとの間には永遠に相容れないものがある」。という思想を述べている。

これに対し講師(Cheit)は、テキスト152頁からのThe New Place of Businessでも述べているように、社会的責任は変わりつつある、そしてBusinessの目指すものと、societyの目指すものとの間には調和がつくられつつあると述べる。ソ連及び東欧諸国でもWhyteの論文に注目し、organizationの中には自治が必要であることを認め始めようとしている。Businessは自治(autonomy)を確保する為に努力を払ってきたし、また払っている。それは、我々が自治の必要性、重要性を充分認識しているからである。これに関連して、organizationの中では、mistakeを許せるような仕組みになっていなければならない。もし過ちを絶対におこせないようなorganizationがあればそれは必ず滅び去る。このような意味でもMarket Mechanismは極めて効率よく働く仕組みであるが、これにはAutonomyを必要とする。イギリスやフランスではイデオロギーの方がAutonomyの為に調整されたといえる。即ち、自治さえ確保できるのならば必ずしも私企業でなくてもよいという形になっている。

Achieveにするために必要なことは、第一にautonomyの確保といくことであり、第二には競争を保つことである。(生物学者の言によれば、競争は自然の法則の一つであるという。競争をなくそうなどというのはとんでもない間違いであって、競争をよりよい形に変えるべきである。文明のエッセンスは何かといえば、競争をより文明的な形にしてきた、ということができる。人類の使命は競争をなくすことではなく、それをより文明的なものに持って行くことにあると考える。)第三にはその最も文明化された競争とはTradeであると考える。

PAGETOP
Copyright © 井上義祐のホームページ(著作一覧) All Rights Reserved.