今年夏の甲子園野球全国大会では花咲徳栄高校の優勝で終わり、閉会式も見たがその間いろいろな雑感が浮かんだ。

 

まずは全国の4000校弱の高校の中から地域代表を次々と勝ち抜いて甲子園でトップの座に着いた同校の実力と栄冠に拍手を、が最初の感じだ。野球は投手陣が優れ、打陣も強打で、エラーが少ないことが強い条件だろうが、そのときの自軍と対戦相手のちょっとしたことで勝敗が分かれるのも見る方にとっては野球の醍醐味だ。幸運も実力の一つとは言うが同校はその意味でも両方を兼ね備えていると思う。閉会式は若者らしいキビキビした動作、とくに状況に応じた帽子の着脱を見て、終戦後再開され、当時から引き継がれた大会の伝統を感じとった。と言うのも、最近は女性の着帽は少なくなり、男性は室内外それに食事中さえも着帽が普通に見られる風景なのでの、以前は男性の着帽は屋外に限られ、女性は正式には室内でも着帽するのが礼儀だったと感じることそれ自体が、いまは古臭く異常なのかも知れないと思えるからだ。

 

また、私は甲子園の西方一駅の今津小学校(国民学校と言った)4・5年の頃に毎日阪神電車で乗り換えのため甲子園球場の外観は見ていたが、球場内には、いま思えば軍事関係だったのだろうか、近寄りもできなかったような記憶がある。球場内に入ったのは20年くらい前の阪神巨人戦で応援した阪神が負けたときが最初だ。

 

今津の小学校と言えば、3角の隅が塁の(狭いので2塁なしの)柔らかい軟式の球(コンニャク玉と言っていた)を腕と拳骨(バットの代わりに)で叩いて遊んだが、それは野球の変形だったのだろう。転校する前にいた九州では騎馬戦とか軍艦ごっことはやったがそんな野球に類する遊びは全く知らなかった。

 

甲子園の駅では良くアメリカ兵の捕虜グループを見たが、決して興味深く見つめたりましてや指先で指すなどするべきではないと強く注意されていたのに、最近のトランプ大統領の記者連への非難めいた指差しには悲しい思いがするなども思い出してしまった。

私は高校時代の大車輪の練習などで指の付根にできるタコを十年以上経っても削っていたが、会社で隣席の先輩で投手をしていた人の指の先のタコを同じように削っているのを見て、削る場所は違え、お互いにそれは知らなかったと笑ったことも思い出された。

何はともあれ、野球がこんなに全国の人を熱狂させるとは平和の有り難さも実感させられる。