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苔(こけ)」について【この頃思うこと-58-】

知人から自宅を売却するのでとその立ち会いを依頼され、その席上で売却先の人が「苔」の研究者であることを知った。日頃興味を持ちながら苔について何を質問するかその糸口すら見つからぬほどの無知さに気付き、分かり易い入門書の紹介を受けるのがやっとだった。  早速その書物をWEBで調べると購入するには結構な値段と大きさなので図書館で借りようと探すと遠方まで借りに行く必要があることが分かった。常識的なことを知りたいだけなので近くの本屋で秋山弘之著「苔のはなし」と言う中公新書を見つけ早速読んだ。  米・伊・豪・NZ・東南亜など一か月以上滞在した経験からすれば、日本の天候は総じて湿気が多く、その文化も異常なほど苔と深い関わりがあるように感じてはいたが、苔については殆ど無知に近くその本から多くが学べた。企業勤務の社宅住まいの頃はその機会もなかったが、大学へ移り一軒家で小さな庭を持って苔をそのあちこちで見かけるようになった。近くでよく観察すると、「もし自分がそれなりに小さくその中に入れるならば、大きな杉の様な苔が林立したなかからそれらを見上げているのだろう」と想像をたくましくしたりしていたことを思い出した。  しかし、その本によると苔の種類は未発見も含めてとてつもなく多く、その恐るべき環境適応能力で地球上に極寒の地から深海まで、また短命なものから長命なものまで存在すること、根もなく胞子で増えること、茎に見える維管束には水や栄養を運ぶ管がないこと、など我々が日常接する大きな植物に持つ常識とは異なる次元のことを知った。「苔」は水分がなければ生存できないが、全くの乾燥環境におかれてもそれに少しでも水分を与えると復活することなどその生命力に驚くことも多く、いままでの無関心さを恥ずかしくさえ思った。

日本以外で長期間住んだ南伊は降雨が年に数えるほどの乾燥地帯で苔とは無縁に近かったし、米国では気持ちの余裕もなく苔には思い及ばなかったが、何度も訪問した英・独・北欧など西欧にも森林の中には確かに苔はあったような気がする。インドネシアでは1か月近く密林と隣り合わせで住んでいたのだから当然見たであろうが暑さと生活環境の違いから全く思いも付かなかった。その点日本は湿気が多く四季がはっきりしていて、梅雨時には少し日陰に行くと多種な苔が自然に目に付く。苔寺など有名な場所もあるし国歌の歌詞にも見え、苔に関する気持ちが諸外国とは違い特別のものがあるようにも思えてはいた。この本でも「苔と日本人」に関する6ページ強の記述があり「詫び・寂び」文化、とくに和歌や日本の古典での扱いなど日本人としての「苔」との関わりの深さを改めて知り、この歳になって、私的な感情だけでなく「苔」が日本文化と深く長い間の関わりがあったことと、その一部分にでも気付かされたことをありがたく思えた。